オンザジョブトレーニングは、授業の課題として出される場合や、希望者のエントリー制など、参加のきっかけは様々です。現場体験を積むことは、プロのライターへの大きな第一歩。撮影立ち会いや、取材同行、座談会同席など貴重な"実務経験"として大きな自信につながります。またそれらの成果としてクレジット(自分の名前)が掲載された作品は、仕事への売り込み材料となります。就・転職活動では、OJTで制作した作品が大きな力となって、ビジネスチャンスにつながっています。
現場100回といわれるライターの世界。授業だけでなく、卒業生の呼びかけで取材アシスタントや雑誌、コンビニ本の企画などさまざまなチャンスをゲットできます。
取材の流れはもとより、初対面の取材対象者と短時間で良好な関係を築くコミュニケーション力、カメラマンや編集者とのチームプレーのやりとりなどが、実際の体験を通してしっかり身に付きます。
また、事前の取材対象者についてはよく調べておくことなど、仕事の現場における基本的な姿勢や心得も、卒業生から実際に学べます。さらに回を重ねれば、アシスタントの枠を超えて、実際に取材したり、テープ起こしをして記事にまとめるといったことも経験できます。


授業では伝えきれない現場体験こそ、実はプロになるための必須項目。まずは名刺交換に始まり、作業の段取りから取材の流れ、初対面の取材対象者と短時間で良好な関係を築くコミュニケーション力、カメラマンや編集者とのチームプレーのやりとり等が、生きた体験として学べます。さらに事前の取材対象者についての下調べやロケハンなど、講師から細かく指示が出されます。指示されます。回数を重ねるうち、講師の代わりに実際に取材をまかされることもあります。
先輩ライターが原稿を書くための資料集めや取材のアポ取りなど、多岐にわたってアシスタント業務を体験します。ネットや図書館などで資料をあたり、時には人を尋ねて行って話を聞くなどしながら、データを集めます。また、取材のためのアポイント入れなども大切な仕事。プロらしい電話応対や言葉の使い方も自然に身に付きます。小さなことからひとつずつ先輩の仕事を手伝い、取材のノウハウを教えてもらいながら、徐々に仕事を覚えてゆくことができます。一方でライティングの仕事も、キャプション書きなどに始まり、だんだんに小さな記事を書き、やがてはページをまかされ…と言った過程で編集者とのつながりも出来てきます。こうして仕事を覚えた後輩がひとりだちしてゆくまで、先輩が応援してくれるのも、アイムの大きな特長です。
卒業生講師が携わっている書籍や雑誌の企画を考えます。
実際に採用された場合は、ライティングまで任されることも。在校中にクレジット入りの記事を書くチャンスもあります。
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夕方、電話が鳴った。きっと夫だ。またどうせ「今日も遅くなるから先に食べてて」とか言うんでしょ!不機嫌な声の調子で電話に出る。
「登丸さん(私のハンドルネーム)のお宅ですか?」
「は、はい・・・」
夫じゃない。女の人、登丸って・・・?一瞬の間にいろんな事を考えた。
「石川結貴です」
うそ・・・。アイムの卒業生講師、私が尊敬してやまない、あの、憧れの石川結貴先生?!一気に冷や汗が噴き出す。
だが、その用件たるや・・・さらに私を緊張させるものだった。
来週発売される『女性自身』で「赤ちゃんポスト」に関する記事を載せるのだが、何人かの子育て中のお母さんにインタビューし、あの一件に関して賛成か反対か、我が子を捨てたいと思ったことがあるかどうか、あるとすれば、それはいつ、どんなときか?一件につき400字程度でまとめて欲しいと言う。
「電話で済むお仕事ですから。とにかく急ぎで、明後日の午前中までに5、6人。お願いできるかしら?大丈夫?」
「仕事」という言葉に一瞬たじろぐ。
確かに"『サンデー毎日』や『婦人公論』などで、特集記事の取材やデータ収集のお手伝いをしてくださるアシスタントを募集"という石川先生の呼びかけに飛びついたのは私だ。
小さな子供を2人も抱えて無謀かと思ったが、結局、「やってみたい」という気持ちを抑えることができなかったのだ。メールを送ってからわずか一週間。こんなに早く仕事の話を振っていただけるなんて・・・。
3日後には、『Wife』の投稿の締め切りが迫っている。4日後の木曜日までにはアイムの宿題も仕上げなければならない。いつも、締め切り直前、追い込まれないとエンジンのかからない私は、石川先生からお電話をいただいた時点で、まだ8行しか書けていなかったのだ。
でも、「投稿や宿題があるから、お受けできません」なんて絶対言えない。なにしろ、もしコレをやらせてもらえるなら、私にとって初仕事となるのだ!お金より何より、絶対、貴重な経験が得られるはず!
「できる限り頑張ります!」という私に「できる限りなんて言わずに、やってください」と石川先生。キッパリ、ハッキリ!
言葉にはされなかったが、「これは仕事なんですから。責任がともなうのよ」というメッセージが伝わってくる。
電話を切った後、不安と嬉しさで興奮状態のところに、クラスメートの廣田さんから電話がかかってきた。
「今、一番パニクってるのは登丸ちゃんだと思って!私がまとめて何人かに割り振るから、無理しなくていいよ」と言う。
さすがだった。アイムで学んだあらゆるノウハウが集約されて、廣田さんはこういう行動が取れるようになったのだと思う。
さらに、「普通に書いたら絶対400字じゃ足らないから、5W1Hをセリフの中に盛り込んで・・・」と、まとめ方のコツやポイントまで教えてくれた。廣田さんが先生との仲人役になってくれたお陰で、色々なことがスムーズに運んだ。「編集者→石川先生→廣田さん→私たちデータマン」とメールが転送され、それを読むことで、「この依頼で編集者が求めているもの」が次第に見えてきた。
限られた時間の中で、とにかくやれるだけやった。2日後、廣田さんが5人分のデータをまとめ、先生に提出。先生からお褒めの言葉をいただく結果となった。
「これからもアイムのみんなでチームを組んでがんばりたいですね!!」という結びの言葉は、「まだ次がある」ということだ。それが何よりも嬉しかった。
次の日、「女性自身の斉藤です」と携帯に電話がかかってきた。いくつか補足で聞きたいことがあると言う。そういうことがあるかもしれないとは聞いていたが、業界の人からの電話だと思うと、何だか少しワクワクする。
「なぜ?どんな仕事に落ち着いたの?『母親と一緒にいること=子供の幸せじゃない』ってどういう意味?」等々、いくつかの質問を受け、自分の取材や書き方に突っ込み不足の部分があったことが分かった。
「やるか、やらないか迷いがあったら、とりあえずやってみる」。アイムの教えは、やっぱり凄い。ちっちゃなスタートを切れた気がした。
「週刊女性・・・実話・・・アエラ・・・サンデー毎日・・・あ、女性自身だ!あったぁー!」セブンイレブンの週刊誌コーナーで、それこそ目の色を変えて週刊誌『女性自身』を探し回っていた客。それが、火曜日の私。
前の週に、突然クラスメートの廣田さんより電話。赤ちゃんポスト設置についての意見を、主婦友達に電話取材するという仕事の依頼であった。しかも、石川先生のお手伝いという。
さっそく夜の8時から立て続けに3人の友人たちに電話をかけ、赤ちゃんポストについての意見と、子育て中に追い詰められた経験をインタビュー。翌日原稿を仕上げ、データを廣田さんにメールした。
その結果が、3月20日号。『主婦ライター・石川結貴と本誌取材班』と書かれた文字を見て、一人でニヤニヤしてしまった。そして、すぐに夫にメール。
「本誌取材班だよ、取材班。書いた文が、ほぼそのまま紙面に掲載されたんだよ。お昼休みに、コンビニで見てね」。返信された夫のメッセージは「よかったね」と味気ないものだったが、私は一人で興奮していた。―介護しながらでも、こんな急ぎの仕事に対応できたじゃん!―
そりゃ、家の中は散々なもの。重度障害児(長女)を抱えた私は、最低限の介護のみに専念し、あとはヘルパーと主人に家事援助を依頼。加えて、長男まで食器洗いに参加させるという、強行手段をとった。
1年前では、考えられなかったこの光景。でも、やればできるんだ!それは在宅で介護をしている私にとって、確かな自信につながったできごととなった。
今回、私が提供した4人のデータの中で、実際に紙面に掲載されたリアルレポートは1名。愛知県在住の川村聡美さん(仮名:36才)のものである。生後6ヶ月の長男が夕方になると泣き出していた時、民生委員が訪問。児童相談所や保護センターのパンフレットを渡され、「どこかに連れて行きなさい」と言われて近所の人と話すのがつらくなり、外出できない日々が続いた。その後、夫の転勤で引越し。赴任先では、のびのびと子育てができたという内容である。
実は、このデータは私の育児体験そのもの。民生委員がでてくるあたり、ちょっとインパクトがあると思い、過去の経験を思い出して原稿に仕上げたものである。
データ原稿では「保健センター」と書いたものの、編集の段階で「保護センター」に変更されていた。たった1文字の違いだが、保護センターの方がより週刊誌の印象にあてはまる。やはりプロの視点は、より週刊誌らしい表現にこだわるのだということを、誌面から学んだ。あとは言い回しを会話調に変更した以外は、ほぼ私の文章がそのまま採用されていた。まとめ方が不安だったが、追加取材がなかったところを見ると、とりあえず今回はこれでよかったのだと思う。
ほかに、実際に電話取材をした内容を1人400字にまとめる作業は、思ったよりもきつかった。400字という制限の中で内容を的確に伝えるためには、文章をそぎ落とすことが必要。日ごろ長い文章を書く傾向にある私には、短く書くためのよい訓練になったようにも思う。何事も経験である。
今回のお手伝いの中から学んだ「週刊誌の電話取材をするための心得」は以下の3つ。
1.電話取材をすませたら、すぐに原稿にとりかかる。
2.具体的なエピソードと、週刊誌らしいドギツイ印象を与えるキーワードを聞き出す。
3.取材中の会話を文に取り入れ、話をしている感じにする。
電話取材でデータをまとめる仕事をする時には、この3点を思い出してほしい。
卒業前に、なんだか幸せな気分になったお手伝い。媒体が文字になることすら想像できなかった1年前とは、私の意識も家族の状況も大きく変わった。今は少しだけプロのライターに近づいてきたような気がする。あとは、自分の名前が掲載された媒体を、少しずつ増やしていくこと。あせらずに、一歩一歩・・・プロの世界に少しずつ足を踏み入れながら、これからも徐々に仕事の幅を拡げていきたい。
遂に卒業生講師豊城先生の『TOKYO1週間』の取材同行アシスタントに初挑戦だ。取材前日。明日に向け気持ちは前のめりなのだが、体調が後ろのめりになりそうな気配。なんだか熱が出る前のだるさ、鼻の奥がムズムズ、喉も違和感がある。でも、なにがあろうと「初同行!」這ってでも行く気でいるので「行けなくなったら」という不安はないが、せっかくの貴重な体験を少しでもベストな体調でと、昼に風邪薬とリゲイン、夜も風邪薬とユンケル(ラストスパート!700円位)で、悪化を防止。
取材日当日は朝食に風邪薬とユンケル(本日も700円位)。午前中会社に出て、午後はいざ有楽町へ。体調はユンケル効果で悪化は免れている。「気合いだ!」と自分に檄を飛ばし、絶好調!
10分前ほどからお店の前で、本日のパートナー、アシスタント暦2回の同期の山中律子嬢と待機。
ぞくぞくとカメラマン、お店関係の人、そして"さくらさん"とマネージャー、企画会社の担当者が到着。「なぜにみなこんなに普通のテンション?」と思った。だが、みなさんはこれが日常のお仕事。私にとって大イベントであるこの取材の中で、このテンションの普通さが一番「不思議なこと」という感じであった。
あとは憧れの「T’s Project春花美恵」の名刺をバッグに入れた豊城先生を待つばかり・・・。
そして豊城先生登場。いつものごとく颯爽と、肩で風を切るがごとく私の前を横切る。単に取材同行でしかない私がこんなに緊張しているというのに、豊城先生は「緊張したことがあるのだろうか」と、ふと思った。アシスタントとは訳が違う。自分で構成し、仕切り、経験も積まれている。「緊張したことがあるのだろうか?」なんて考えるほうがお門違いなのだが、あんなに堂々と仕事ができたらどんなにいいだろうと思う。
豊城先生、さくらさん、マネージャー、企画担当者が個室で打合せをしているなか、私たちは部屋の外で待機していた。
そのとき個室から「はるはなー、ウーロン茶4つー」と豊城さんから初の任務指令が来た。「はいっ!」
「ハルハナって呼んでもらえた~」と嬉しさを噛み占めつつ厨房へ走った。個室では豊城さん、さくらさんのインタビューが進んでいる。そのあいだに店の広報のNさん、料理長さんに取材させていただいた。個室の数、各収容人数は基本で押さえなければいけない点。律子嬢と私で「個室は何部屋ありますか?」。Nさんは「確認してきますね」と店内をぐるぐる回ってくださった。
「それぞれ何人入れますか?」「確認してきますね」と、再度店内をぐるぐる…。「一度に言え!」と自己反省。的を得た要領のいい質問の仕方をしなければ相手の方に迷惑がかかることを実感。
さらに「つなげると最大何名入れるというような部屋ありますか?」
「確認してきますね」。あぁ、本当に申し訳ございませんでした。
戻ってきたNさんが、私たちのメモ書きを見ながら
「これとこれとこれとこれで30名の部屋になります」と説明。それを私がぐちゃぐちゃに書いていると、律子嬢が「え、これとこれでこうだよ」と横からメモに上書きし始める。「え、違うよ。こうでこうでこれでいいんだよ」「え、違う」このやり取りが5回ほど続いたころ、Nさんが苦笑いしていることにハッと気が付いた。
「あっ、すみません」。3人で大笑い。もう一度説明してもらい、二人納得。とにかく私たち「無我夢中、一生懸命」だったのです! 本当にご迷惑お掛けいたしました。
鳥かごのような個室で焼肉を囲み、さくらさんも満足気に取材は無事終了。豊城先生、企画担当者と私たちでエレベーターに乗り込み、そこでさくらさんの出ていた番組「@サプリ」のホストの話や、その日の深夜にさくらさんがテレビに出る話などに参加させていただいた。
そしてアイムの授業へ。向かう途中、「気合いだ!」が切れてきたようで、ユンケル(今回最高額1000円位)を飲んだ。
帰って取材に同行させていただいたお礼のメールを書いた。翌朝、先生から返信が来ていた。
これまでの体験者のレポート通り、なぜにこんなにも豊城先生は優しいのだろう。「昨日はなんだか個室が狭くて入れなかったから、話も聞けず料理も食べられず、お茶運びやらされて、頭ぶつけてつまんなかったでしょ。ごめんねm(__)m」と返事をくださった。
足手まといにもかかわらず同行させていただいただけで感謝でいっぱいのところこんな風に言ってくださるなんて。しかも
「頭ぶつけてつまんなかったでしょ」とそこまで言ってくださるなんて。覚えていてくださったなんて。
「はるはなー、ウーロン茶4つー」のときだ。豊城先生たちが打合せをしていた、屈まないと入れない個室の入り口で頭をぶつけたのだ。このとき、そこにいたみなさんが笑ってくれ、お茶を出しながら「少しは役に立てた!」と笑いを取ったことで喜んでいた私。
次回は別のことで「少しは役に立てた!」と思えるよう頑張りたい!そして取材をするときは、一度で済むことを何度も確認しに行ってもらうようなことにならないよう気をつけよう。
現場に身を置かなければ絶対に感じることができなかったことをたくさん体感させていただき、豊城先生、そして今回の取材で関わらせていただいた方々、そしてユンケルに心から感謝します。
今回の取材で、あれぇ?。取材同行アシスタントの証「T’s Project名刺」いただいて・・・、いないっ。
次回につなごう夢の「T’s Project名刺」!
1月18日、ついに私にとって記念すべき『TOKYO1週間』が発売された。
12月19日、さくらさんの取材に同行させていただいたときのお店のデータを送り、20日に豊城先生から「データ有難うございました。本日書いて入稿します」とメールをいただいた。
この「入稿します」の言葉を見たときの感激といったらなかった。データも勉強のため書かせていただいたもので、一文字たりとも使われないかもしれないことはわかっている。豊城先生が書いたものを入稿するということは百も承知。
だが、必死に取材し必死に考えた記事を、車を運転するときよりも何度も確認したあと、先生に送った。「自分の書いたものが雑誌に載り、それを見る人がいるんだ」という責任感を勝手に持ち、書いたのだ。
だから、自分の書いたデータが載ろうが載らなかろうが、そのこと自体はどうでもよかった。誰が書いても同じ個室の数や、お店の住所、そういう内容だけでも豊城先生に渡し、それを先生が書いて入稿する。それだけのことなのに「携わってる。携わってるんだ」という気持ちがひしひしと自分の中で湧き上がってきて、ひとつひとつの作業、先生の言葉がうれしくてならなかった。
年明けから「はやく18日にならないかな~」と待ち遠しくて仕方なく、やっとこの日が来たのだ。当日、出社前にコンビニで買った。買うと決まっているのに、それまでも待てなくて、最後の方のページをまさぐり、読み、そして買った。
「料理CHECK」の記事をまず真っ先に見た。「わぁ、わたしの書いた言葉が使われてる!」コンビニの店員さんに「この本の何文字かわたしが書いたんだよ!」と言いたくてたまらなかった。
◆シーザーサラダ
・私の書いた原稿は、
「焼き肉との相性抜群!温泉玉子を混ぜて食べるサラダ」
・雑誌掲載原稿、つまり先生の書かれたものは、
「意外にも焼き肉との相性抜群!とろりとした半熟の温泉玉子が味の決め手」
う~ん、たったこれだけのキャプションなのに・・・!こう比べるとおいしそうな表現の差が歴然である。
「なに『温泉玉子を混ぜて食べるサラダ』って!当たり前じゃん!なに書いちゃってんの!」と、自分の書いたものが恥ずかしくなった。そして「意外にも」の言葉の効果にも愕然とした。「意外にも」の一言があるかないかで、「抜群!」具合が大幅に違う。なぜに思い浮かばなかったのだろうと悲しくなる。
「でも『焼き肉との相性抜群!』はわたしの書いたものを使ってもらえたんだ!」と思い込み、「そこだけしか使えないものしか書けないのかよ!」と自分を戒める前に、妙に感動してしまった。
◆壷漬カルビ
・私の書いた原稿
黒毛和牛と野菜が、フルーツベースの秘伝のたれ壷に!
・先生の原稿
秘伝のフルーツだれに漬け込み、高級和牛カルビの柔らかさと旨みを凝縮させた。
◆史上最強棒カルビ
・私の書いた原稿
リブロースの芯の部分から厳選された極上絶品カルビ。
・先生の原稿
一頭の牛からごくわずかしか取れない貴重な「リブロースの芯」。
私の原稿はすべてがなんだか文字数が少ない。で、表現不足。
ほんの少しの文字数の差で、こんなにも表現力が深まり、言葉の配列でこんなにもわかりやすく伝わるようになるものなのかと、ショックを受けた。けれどこのたった何文字かの短い文章で、改めて言葉の表現のむずかしさを知ることができた。
表現力不足の自分を怒ることはとりあえず置いておくことにして、発売になった日は「とにかく嬉しくて嬉しくて」だったので、自分の書いた何文字と勝手に思っている文字を何度も見て、喜んでいた。
「料理CHECK」をわたしが書いたままの原稿で掲載されることを目標に、また同行させていただきたいと鼻息を荒くしたのだった。
11月7日@新橋。プリントアウトした地図を握り締め、卒業生講師辻先生を訪ねるべく歩いていた。夜の新橋は、仕事帰りのスーツ姿の人々でいっぱいだ。なんだか自分がとても場違いな気がして、ただでさえ緊張しているのに、さらにガチガチになった。
アイム事務局の山崎さんから頂いたメールに「オリエン」という単語があり、それがオリエンテーションのことだと理解するのに時間がかかったほどバカな私である。こんな私が関わってしまい大丈夫なのだろうか。こんな私を呼んで頂いて、すみません。
ガチガチでエレベーターに乗り、ガチガチでオフィスへ参上する。入り口近くを通りかかった方にご挨拶をして緊張が最高潮になったときだ。パーテーションの向こうから、ひょい、とクラスメートの雪田さんが顔を出し、小さく手を振って出迎えてくれた。まさに地獄に仏である。同じく同期の瀬戸さんもすでにテーブルについていて、そこへ合流する。仲間がいるって、すごく心強い。
別室に通され、アイム11期の先輩辻先生と編集担当の方と名刺交換をし、「オリエン」がスタート。「台割」が渡された。心のなかで、(おおー、これが本物の「台割」かぁ~!)と感動する。意外とカラフルな感じだ。よく見ると、担当ライターが決まっている部分は欄の端のほうに色が付けられており、まだのところが白い。ということは、この白い部分のどこかを私たちが書かせてもらえるのだ。
打ち合わせの結果、コンビニ本「朝起きられるようになる本」の中で、私は4つのテーマを担当することになった。それから、授業のプレゼンで自分が提案した「グッドスリープライト」の紹介記事をひとつ。合計5つ、10ページである。いずれも見開き2ページ、800字だ。
さらに雪田さんと協力して「朝イベント」の紹介を、とのこと。私の分担は、3人の中では一番少ないのだが、できるだろうか?と不安になる。しかし辻先生たちは、「去年は1人で一章とか普通に書いてもらってたよねー」などと話されている。そんな量がまわってくるようになるのだ。「できない仕事は来ない」という言葉のほんのちょっぴり分かった気がする。
翌日から、私と原稿の、手探り状態での戦いが始まった。分からない。どんなスタイルで書けばよいのか。とりあえず、「手軽にできて、ちょっとアホっぽい感じでOK。さらっと読めてためになる。っていう軽い感じで」という言葉を頼りに、書いてみる。でも、できない。ああー無理。「ですます調でアホっぽく」って、思いのほか難しい。ほかに注意すべき点は、「医学的なことはいい加減なことを書かない」と「資料の丸写し厳禁」である。気をつけよう。
本を3冊読み、ネットで資料とネタ集めをしているうち、1週間が過ぎた。15日、アイムの授業日、雪田さんと話して衝撃を受けた。なんともう、ネタ4本は提出済みだという。早い。すごい。「宿題よりカンタンですよー」と雪田さんは微笑んだ。そうなんだ・・・。
帰宅後、まっさきにPCにかじりつく。雪田さんと私の担当箇所はリンクしているので、私が出さないとまずいのだ。できるだけ早く出さなければ。木曜日の夜から16日金曜日の朝にかけて原稿を書き、メール
で送信した。同じ日、レイアウトが出たということでメールを頂く。
「1行31W、横書きでください」という指定があり、「雪田さんの原稿のように、箇条書き形式で統一」とのこと。いつもは1人の人が担当するところを2人が書いているため原稿に統一感が出ず、そのための書き直しである。というか、たぶん私が送った原稿は、かなり勘違いが発生していたのだろう。そう気付き顔が赤くなる。「ごめんなさーい!」と編集の方へ向けて心で叫ぶ。
見本として添付された雪田さんの原稿を読む。おお、おもしろい!依頼の内容にぴったりの、アホテイストで軽くておもしろい文章だった。読者ターゲットの30代前半男子をきちんと想定して書いてある。ノリノリで、すっと読めて楽しく、しかもためになるではないか・・・。
すごいなあ、雪田さん。それに比べて、勘違い女の私ときたら。
とにかく、そうやって凹んでいてもしょうがないので、こうなったら雪田さんの原稿をパクるしかない。そう、パクればいい。先輩の檀れみ先生も「パクりOK」と言っていたではないか。
ということで「雪田スタイル」をパクり、テンションをパクり、4つの原稿をすべて書き直して送信した。
あとは商品紹介である。「グッドスリープライト」の台割を確認すると「記事広告」となっていたので、ほぼ資料に忠実に書くことにした。(いいのかな?と思いつつ・・・)
ちなみにこの商品紹介ページでは、なんとレイアウトのラフも書かせてもらえる。しかしドシロウトなので要領が分からない。1日中悩みぬき、お粗末ながらもなんとか書き、提出した。すべてが、ものすごい勉強であった。
やがて担当の方からメールが入り、「少し手直しが入るかもしれない」とのこと、「1月の発売を楽しみにしていてくださいね」という温かい言葉を頂いた。こうして私のOJTは終わったのであった。
一気に力が抜けた。「果たしてあんなんで良かったのか・・・?」とか「しょうがない。今の自分のできるベストを尽くした。情けないが、あれ以上どうすることもできなかった・・・」とか、「結局パクるしか能がなかったなあ・・・」などといういろんな思いが押し寄せてきて、ホットカーペットへ仰向けにバッタリと倒れこんだ。
そのまま天井を見ていたら、長井校長の授業の「相手が望む以上のものを提供する」という言葉を思い出した。自分にはそれができなかった・・・。後悔がこみ上げる。悔しさと悲しさも。
でもひとつ言えることがある。OJT前の自分とOJT後の自分はまるっきり違う人間だということだ。人は日々、自分自身を更新していくものだけれど、そのことをこれほど実感したことはなかった。ほんとうに、ほんとうに、いろんな意味で勉強になった「オンザジョブトレーニング」であった。
1月販売のコンビニ本「朝起きられるようになる本」。コンビニの「デイリーヤマザキ」の棚に並ぶ。私はその前に立ち、そのとき、どんな気持ちになるのだろう。
怖いような楽しみのような、いまからもう、複雑な気分である。
「どこかにいいコピーライターいない?」挨拶代わりにそんな言葉が交わされる業界です。「いいコピーライター」とはどういう人をいうのでしょうか?人並みはずれた発想力や才能の持ち主のことでしょうか?
実は今求められているのは、広告主の「これを伝えたい」という要求をしっかりキャッチし、その思いを的確に表現して消費者に伝えられる能力の持ち主です。
その能力はトレーニング次第で誰でも身につけることが出来ます。まず第一に「人間力」を鍛えること。相手の立場に立ち、相手を思いやるという、人として一番大切な能力を磨くところから始まります。
広告制作の現場では、実際に作業が発生してみると、予想しない事態もさまざま起きるもの。そこで臨機応変に対処したり、めげずに取り組む粘り強さ・・・要は「仕事への情熱」といったものが不可欠の世界です。
コピー制作室のみなさんは、さすがアイムでの特訓に耐えてきた方々だけあって、日々の直しにも気持ちよく、また粘り強く対応してくれて、とても助かります。
これからもお互い「プロとして」一緒に仕事をして行きたいと思っていますので、SOSを発信したときはよろしくお願いします。

コピーゼミ横川講師の最近作

ネスレ日本/ネスカフェ「チャージ」「CHARGE 体験」ポスター
○企画制作/電通+AOI 新橋+J.C. スパーク○CD /堤一夫○AD /八木秀人○C /横川謙司、大山徹、三浦北斗○PR /大石祐子、栗原良次○撮影/渡辺肇(登場期)、舛本晋一(ティザー期、商品)○D /伊藤洋、下山佳世子○レタッチ/栗山和弥○ST / Emily De Groot、三牧隆司○HM / Jennifer Lee 奥平正芳○出演/ Benny Wasserman○美術/ David Hedge、半澤強○製版/大場克、岩垣平、アートファクトリー
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コピーライターになる前は、銀行員だった私。広告業界への転職にあたって、その経歴を面白がってもらえることはあっても、前職での実績として形にして見せられるものはひとつもありませんでした。
今働いている広告制作会社の面接に持っていったのは、アイムの本科やゼミの課題、そしてアイムクラブコピー制作室のお仕事で、横川先生のお手伝いでコピーを書かせていただいたポスターです。
実際に仕事として世に出たコピーだということが評価につながり、これがあるから大丈夫、と自分も思えた気がします。そのポスターで、自分の考えたキャッチフレーズを街で初めて目にした時のうれしさは忘れられません。
何度かお手伝いをさせていただきましたが、先生のお仕事を近くで拝見できたこと、広告ができあがるまでの過程に立ち会えたことは、今思い出してもドキドキするような経験でした。先生がどれだけ貴重なチャンスをくださったのかを、この業界で仕事をするようになってから改めて実感しています。
アイムに入った時は、自分が電通ビルに足を踏み入れる日が来るなんて想像もしていませんでした。文章を書くことは好きでしたが、コピーや広告に特に関心があった訳ではなくて、正直、コピーの授業はなんでこんなに回数が多いのかなあ、と思っていたくらいです。ところがいざ授業が始まってみたら、キャッチフレーズを書くためにいろいろな切り口を探すのが楽しくて。毎回夢中で講義を聞いていました。
今も仕事をしていて迷ったり悩んだりすることはありますが、そんな気持ちもいつかコピーにできるかも、と思えるのはしあわせです。そしてときどきはゼミのノートを見直しています。
「ああ、そうだったな」って気づけることも多いし、何よりも気持ちがほっとして、また頑張ろうと思えます。広告の世界と出会わせてくださった長井先生、コピーの楽しさを教えてくださった角田先生、憧れに近づくチャンスをくださった横川先生、事務局の山崎さんと志村さん、そして15期とコピーゼミのクラスメートの皆さんには、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
アイムでコピーと出会い、コピー制作室の仕事でコピーライターとしてのスタートを切れたことを、心からしあわせに思っています。

「人は見られるとキレイになる。テレビはどうだ?」
ここに記したのは、第42回宣伝会議賞・協賛企業賞をいただいた我がコピーです。
提出までは茨の道。角田ゼミにてダメだしをされ、横川先生にチェックを請い、同期と励ましあう中で生まれたこの1本が、ビギナーズラックとなりました。
青山で行われた授賞式は、なんとまぁ場違いだったことか。眞木準さん、仲畑貴志さんをはじめとするコピー界の大御所を間近にしたこともさることながら、授賞者の多くも広告関係者。俗にいう"業界ノリ"の中で矢のような名刺交換が展開されるのを、壁の花よろしく、見つめるばかりのワタシ・・・きっとこの姿を校長が見たら、「何やってるのよ、アナタも積極的に配りなさい!」と怒号が飛ぶんだろうな―などと想像しながら。
そして受賞から2ヶ月後。アイムクラブコピー制作室がスタートし、横川先生からお仕事が!「某商品のパッケージに入るフレーズ」の依頼に声が掛かったのは、私を含めたコピーゼミ同期3人組。
"電通からのお仕事"に蝶のごとく舞い上がり、早速、電通本社でのオリエン。文字数の制限、使ってはいけない言葉、ライバル商品との差別化、納期まで1週間・・・ゼミの課題と違うことは一目瞭然。意気揚々と資料を持ち帰ったものの、考えれば考えるほどにプレッシャーがのしかかってきました。私たちは即刻徒党を組み、アフター6のミーティングとメールのやりとり、最後は長井校長にアドバイスを求めるという荒技もこなし、それぞれ書いたフレーズを切ったり貼ったりして提出しました。結論は・・・私たちのものは不採用、横川先生が別に書かれたものと決定しました。
抜け殻のような私たちにもたらされた横川先生の言葉は、「仕事は学校の課題ではないんだから不合格はない、合格するまでやるだけ。採用するかどうかはクライアントの問題。キミたちが頑張る限り仕事を出し続けるよ」―これはもちろん私たちだけでなく、アイムに集いコピーライターを目指すみんなに掛けられた、現役コピーライターからのエールだと思います。敬愛する恩師と仲間・・・「人は愛すると磨かれる。コピーもきっとそう!」なのです。

アイム入学以来、物事を文章で表現することの難しさを学びつつあったが、コピーのそれはまた異質のものだった。難しいから、面白い。味わった事のない知的興奮とでもいおうか。角田・横川両先生の授業をきっかけに、コピーライターは私の夢となった。あまりにも遅過ぎるけれど、職業に対してはじめて恋をしたのだった。
コピーゼミ1年目を終える頃。これからどうしたら仕事をしていけるのだろうかと途方に暮れていた私に、「フリーのライターと名乗りなさい。実績はなくともハッタリでもいい」と角田先生は言った。当時、その言葉は私を思いきりへこませた。そんなことできるワケないじゃないか。けれど、卒業と同時に、あの「電通」から、ビッグチャンスが舞い込んだのだ。
横川ゼミから誕生したコピープロダクション「アイムコピー制作室」の記念すべき第1号の仕事は13文字のパッケージコピーだった。不安と期待で訪れたカレッタ汐留の電通本社。仕事の発注者である横川さんのフロア38West棟を目指す。窓外の景色は別として、憧れのクリエイティブルームは案外普通のオフィスと変わらなかった。ただ横川先生が「先生」ではなく「さん」付けの発注者であることも含めて「プロの現場」。私は思いきり緊張していた。
わずか13文字の仕事がダイヤモンドのように有難かった。
その時、ようやく、角田先生の言葉が背中を押してくれたように思えた。電通でのオリエンの後、私は名刺を作った。分不相応とは思ったが、知人のデザイナーにお願いした。若い彼は、快く引き受けてくれた上に大まじめに応援してくれた。馬鹿げたことと笑わないのである。考えてみれば、アイムも横川先生も角田先生も同じだ。
もうすぐ2年目のゼミが終わる。再びチャンスが来るようにコピー制作室へ名前を登録はしたまま、学校は卒業しよう。仕事にほとんど当てがないのは変わらない。けれど、手つかずの名刺を配付することが、今の私の仕事だ。
アイム、そして角田先生、横川先生。これからも恩師であり、発注者でいてください。